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森野 光映さんさん

◆陶芸家◆

「土が主役、自分は道具」。豊浦の土に親しみ、豊浦で器作りを楽しみ、その楽しさを豊浦の、そしてそれ以外の地域の人たちに伝え続ける陶芸家、森野光映さん。その明るく穏やかな人柄の中に見える、強くてしなやかな姿をご紹介します。

森野さんが、創作活動の拠点にしているのは、敷地内にある樹齢150年の銀杏の木がその雄大な姿を見せてくれる「黄孫窯」。ここは、森野光映さんのご主人である陶芸家森野清和さんが作りあげたもの。工房、教室、展示室などが備わっており、庭では年に一度、銀杏が黄金色に輝く時期に、芸術家仲間、作家仲間たちとグループ展を開催しています。

下関市内出身の森野さんは、学生時代は写真学科で学び、福岡にあるコマーシャル写真のスタジオに就職。写真はいまでも大好きで、展示会などのフライヤー用写真はご自身で撮影したりするのだそう。その一方で、当時は写真が好きすぎて、それを仕事にしているのは逆に辛かったのだそうです。写真スタジオを辞めたのちに、森野さんは、ここで二つの運命的な出会いを果たします。一つは「陶芸」。下関市美術館の市民講座で陶芸教室の生徒募集告知を見つけ参加、それ以来その魅力にハマり、腕を磨き、プロの陶芸家として自身の作品を世に出す一方、その楽しさを多くの人たちに伝える陶芸教室の先生として陶芸の世界の発展に貢献しています。そしてもう一つは、ご主人の森野清和さんとの出会い。教室の先生であったご主人の薫陶を受け、陶芸・創作活動に向き合う心構えなどを学んだ、といいます。そして「自分が好きなものを思うままに表現する」「生きていることの楽しさを表現する」「陶芸は、土を使った芸術。土が無いと成り立たず、貴重なものであることを理解し、大切にする」というご自身のいまの姿勢が形成されました。

「私は陶芸が楽しいと思ってこの世界に入りましたし、そして今のその思いは変わりません。その楽しさを伝えたい。才能の有無ではなく、“誰もがもっているが自分では気づいていないもの”を探しあてるための手伝いをしたい」
そんな森野さんの教室に通う生徒さんは、豊浦に住む方が多く、月2回の教室は多くて4~5名程度で進めます。少人数相手なのでマンツーマンに近い形になるが、“教えすぎない”を基本にしており、定型のカリキュラムがあるわけではなく、生徒さんそれぞれにあった方法を森野さんご自身が考え、それをもとに教室を進めます。そして「教えすぎない、生徒の自主性を大切にする」。これが森野さんのモットー。
この教室には小学生の生徒さんもいます お母さんから「陶芸に興味がありますが、子供でも大丈夫ですか?」と問い合わせがあり、まずは体験教室で教室の雰囲気も含めて体験してもらい、その後入会。陶芸のことを好きになったようで、教室のあと、家では「楽しかった!」と言ってくれているそうです。好きという気持ちは才能ですと森野さんは言います。森野さんの工房の名前は「atorieげんき」、そして教室の名前は「atorieげんき陶芸教室」。「げんき」は元々は犬の名前だそうですが、訪れる人を「元気」にする場所でもあるんですね。

「イライラしているときは作りません。その感情が作品に表れてしまうから」「陶芸は、あくまで土が主役で自分は道具。私自身が土が気持ちよく伸び、形になるための道具だと思っています。だから“作品に魂を込める”みたいな感情はないんです。」 そうやって森野さんの手から生み出された作品たちは、黄孫窯・アトリエげんきで触れることができますし、川棚温泉駅隣、豊浦コミュニティ情報プラザ内「青龍の里」にも置いてあります。ぜひお訪ねください。

土はストレスを吸い取ってくれる、という語る森野さんの印象はとてもフランクで、穏やか。でも、海が近く、山も近く、自然あふれる豊浦、川棚の地に馴染み、そこで採れる土が主役で自らは道具と定義づけ創作活動に邁進するその姿には、とても強くてしなやかな背骨が一本通っているように見えました。

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